【マルタ留学者必見!】サルでもわかるマルタの歴史

ねこ

ねこ
📩20歳の男子大学生、3ヶ月後のマルタ留学の準備中。留学準備に追われるなか、留学前にマルタの歴史を知っておいたほうがいいと思い調べる!が、、、 10分語、あまりのわかりにくさと横文字に断念、、、(´・ω・`)もっとわかりやすいマルタの歴史の解説、ないのかな、、、。

 

こんな疑問を解決していきますヽ(´ー`)ノ

✓ 本記事の内容はこちら

■ マルタ、7000年の歴史をまとめてみました

■ 【マルタの歴史】洞窟という最高の住宅環境を発見

■ 【マルタの歴史】マルタ人「石、やっぱ最高」

■ 【マルタの歴史】やっぱり『青銅器』は強かったか…

■ 【マルタの歴史】『文明の力』にひれ伏すマルタ

■ 【マルタの歴史】キリスト教がやってきた

■ 【マルタの歴史】突然訪れたマルタ語の元祖

■ 【マルタの歴史】マルタの歴史が狂い始める

■ 【マルタの歴史】地獄から天国へ、マルタ騎士団爆誕

■ 【マルタの歴史】世界の革命児、マルタ来島

■ 【マルタの歴史】ついに独立!マルタの再スタート

■ 【マルタの歴史】サルでも理解できるマルタの歴史まとめ

■ マルタの歴史=バレッタの歴史ではない

■ マルタの今を作ったイギリスの統治時代

マルタに留学する、旅行する人であれば、マルタってどんな歴史があるんだろと気になったこと、一度はあるかと思います。

で、調べてみるとどうか、、、結構複雑じゃないですか?結構、横文字も多いし、年号出てきて、なんか外国の〇〇大王、〇〇皇帝とか出てきちゃって、「世界史勉強してるわけじゃないんですけど(´・ω・`)」ってなった人も多いと思います。

でも、ゆっくり整理していくとマルタの歴史は簡単なんです。

世界史的に説明すると長くなるんですが、簡潔に明快に説明するとそんなに難しいものではないんです。

この記事を読んで頂けると、

マルタの歴史が簡単に頭に入ると思いますし、

マルタの授業で万が一歴史の質問が出ても安心ですヽ(´ー`)ノ

実際、自分自身マルタの歴史が複雑だと思っていたし、もっとわかりやすい説明があればなと思っていました。

今回はそんな過去の自分に届けるつもりで書いたので、是非ゆっくり流し読みしてみてください(´・ω・`)

 

マルタ、7000年の歴史をまとめてみました

実はマルタって7000年以上の歴史がある国だということ知っていましたか?

めっちゃ長いと思いませんか?

ですよね、僕も書きながら「マルタの歴史長ない?あんなに国は小さいのに長ない?」ってなんども思いました。

面積で言うと淡路島の歴史を7000年遡って書いているくらいの単調さと長さを感じました(´・ω・`)

でも、意外と濃かったマルタの7000年。

ではわかりやすく解説していきましょうヽ(´ー`)ノ

 

【マルタの歴史】洞窟という最高の住宅環境を発見

紀元前5000年頃、今から約7000年程前のお話

イタリアの南にあるシチリア島っていうところから、船を使ってマルタ島に何人かの人間がやってきたのが、マルタの歴史の始まり。

意気揚々とマルタにやってきたイタリア出身の人間たち。

最初はおそらくまず食べ物準備せなあかんなと思ったはずなんですが、住んでいるとあることに気づいたと思うんです。

「あれ意外と住めんじゃね?これ、シチリアいるより快適じゃね?」

こんな感じで、マルタに住み始めたイタリア出身の人間たち。

そのあと色んな物資がマルタ島に運ばれるんですね。とりあえず人間食べないと生きていけないわけですから、食べるものを育てようと、こうなったわけですね。

農業するための道具とかいろんな種とか畜産のための牛とか、、、 とにかく生活するために必要なものを運んできたわけですよ。

でも、知ってのごとくマルタって夏めちゃくちゃ暑いじゃないですか?多分、昔のマルタも相当夏は暑かったと思うんですよね。

昔はビルなんてないし、影もあんまりない、、、

『めっちゃ暑い、、、これ、、、焼けてしまう、、、』

そう思ったんだと思うんです。

そう思った人間たちは影を探し始めます、、、

そしてありました影。

そう、洞窟です。

やっと影となる場所を見つけた人間たちはその洞窟を生活の拠点としていくわけですね。

それが現在、マルタのアール・ダラム洞窟という遺跡として残っています。

こうしてやっと文明を築く第一歩、『快適に生活する』が成し遂げられ、定住が始まったわけですね。

 

【マルタの歴史】マルタ人「石、やっぱ最高」

さて、イタリアからマルタにやってきた人々の生活も安定し始めたころ、マルタの人間たちに革命的な発想が舞い降ります。

『あれこのゴロゴロした物体なんだ?どうやってできたか知らないけど、これ自分の削りたいように削れるし、置物としてもおしゃれかも、、、麦育てたり牛育てたりするだけじゃ暇だしみんなで協力してなんか作ってみるか(´・ω・`)』

そんな思いつきで始まった(だろう)存在こそ、『石』です。そうです。ストーンです。

やってみると意外や意外。マルタの人々って結構、手先が器用だったんでしょうか。建物やら神殿やらバンバン建てちゃいます。

作り続けて、当時のマルタの人々の最高傑作、そして現代人にも評価される建物ができあがりました。

それがゴゾ島にあるジュガンディーヤ神殿です。紀元前3500年前に造られた人類最古の建築物とも言われちゃったりしています。なんと、エジプトのピラミッドより早いとかなんとか。

こんな感じでとりあえずやってみる精神で作り続けていた神殿などの建物は今の世にも約30程、マルタ国内に残っているんです。

でも1つわかっていないことがあるんです。 それは、『どうやって作ったか』。とりあえずやってみる精神で神殿とかバンバン作ってたわけですが、明らかにその建築の精巧さと巨石などを運ぶ手段には無理があるんです。

特別マルタの人が超人的な技術をもっていたのか、他の地域からマルタに来た人に教えてもらってたか、未だに謎なんです(*´ェ`*)

 

【マルタの歴史】やっぱり『青銅器』は強かったか…

紀元前2000年頃、マルタでは神殿も順調に作られ、争いごともなく特に平凡で平和な毎日を暮らしていたマルタの人々。『やっぱり平和が一番ですね〜』なんて話していたんでしょうか、、、ヽ(´ー`)ノ

しかしその時代は終わりを告げてしまいます。 なんとマルタから人間がいなくなってしまったんです。

神隠しかもしれません、、、(´・ω・`)

そんなことはありません。

急にマルタがいやになったので、みんな大陸に帰って行っちゃったのでしょうか、、、?

それはちょっと近いかも、、、

マルタから人間がいなくなったはっきりした原因はわかっていませんが、考えられる理由は2つ。

1つはマルタの土地は狭いので、農業できる土地を全て耕してしまい、不毛の土地になってしまった。

もう一つは青銅器っていう当時めっちゃ硬くて強い武器をもった人間たちが攻めてきたか。

青銅器ってやつは、紀元前3000年頃に今のイラクとかの中東で発明された武器。青銅器が作れるってなった地域はどんどん発展していっちゃったんです。

そして『自分の方が強いんだ!お前んところの土地、受け渡さんかい!!』的なやりとりの後、争いが始まっちゃいました、、、。

 

【マルタの歴史】『文明の力』にひれ伏すマルタ

紀元前1200年頃〜紀元前3世紀頃、この頃、地中海の右側(東側)でめちゃくちゃ強い勢力が生まれました。

それを勢力はものすごく船の航海が上手くて、地中海を自由自在に移動しちゃうような行動派の人間、フェニキア人でした。

もちろん漏れること無く、このフェニキア人もマルタにやってきます。

マルタに住んでいた人も、貿易できるし悪いこともないかと受け入れちゃいましたし、フェニキ人もマルタに住んでいた人々とは仲良くやってたみたいですね。

どんどん勢力が拡大するフェニキア人が一番力をいれて造ったのが現在のチュニジアあたりの文明。(都市の名前はカルタゴって言います)フェニキア人にとって、マルタはこの文明(都市)の一部として考えられていたんですね。

しかし、そんなフェニキア人の発展に目をつけていたのがローマ人です。マルタはホントいつも目をつけられるんですね、、、。フェニキア人からマルタを奪いたいローマは紀元前200年頃、フェニキア人と戦争を始めてしまいます、、、。

結局、フェニキア人が敗北し、フェニキア人が作ったカルタゴはじめ、マルタもローマの支配下となっていきました。

 

【マルタの歴史】キリスト教がやってきた

紀元前3世紀〜紀元後くらいまでの時期、ローマ人の領土の一部となったマルタ。現在のイムディーナやラバトといった街を造ったりしたのもこの頃です。

そしてこの時期、マルタに住む人々の価値観を一変する宗教がやってきます。

そう『キリスト教』です。

紀元後すぐ、一人の人物がマルタにやってきました。それが聖パウロという人で、イエス・キリストの声を直接聞いたとされ、多くの人にキリスト教を布教していた人です。

全く新しい考え方、価値観だったキリスト教を持ち込んだとされ、マルタ島にたどり着いた聖パウロは、ひどい扱いを受け苦難の時期を過ごします、、、。この苦難の時代、聖パウロが逃げ込んでいたとされるのが聖パウロの地下墓地です。今でも遺跡としてマルタに残されています。

結果的に、聖パウロのマルタでのキリスト教布教は成功し、現在のマルタが、国民の約98%がキリスト教徒の国となっているのはその所以なんです。

 

マルタの歴史】突然訪れたマルタ語の元祖

6世紀くらいになると中東ではイスラム教が生まれました。イスラム教を侵攻しているアラブ人たちはどんどん勢力を広げていき、マルタも飲み込んじゃいます。

ただこの頃のアラブ人にとって「マルタ=辺境の地、それほど統治に力いれなくてもいいでしょ」 的な考え方で、ゆるーい統治がなされたらしいです。

そのアラブの知恵で最も大きな影響を与えたのがそう、『言語』です。

今のマルタ語はアラビア語を基にして作られているのは、このときのアラブ人の統治が影響しているんですね。今のマルタの地名、例えばイムディーナやラバトもアラビア語を基にして名付けられているのはそのためです。

 

【マルタの歴史】マルタの歴史が狂い始める

10世紀から16世紀頃、このころ勢力を伸ばし始めたのがノルマン人たち。でもマルタのノルマン人時代は長くは続かず、次に神聖ローマ帝国という大きな勢力がやってきます。

もうマルタからしたら、どんだけ色んな国攻めて来んねん(・。・)っていう話しですが、そんな抵抗も虚しくあえなく神聖ローマ帝国の支配下になります。

ここで僕の気持ちを吐露させてください。


歴史が複雑になってきた、、、簡単に省略してもいいかな、、、

いいんじゃないヽ(´ー`)ノ

この辺りの複雑さで一気にわからなくなるので、マルタを支配下に置いた地域ともたらしたものを一挙ご紹介しますね。決してサボろうという気は毛頭ない(・∀・)

■ 神聖ローマ帝国

もたらしたもの:マルタのムスリムを追放

■ フランス

もたらしたもの:マルタの人々、苦難の時代、、、

■ スペイン

もたらしたもの:時代はキリスト教(スペイン中心)vsイスラム教(オスマントルコ)。いままで特に重要視されてこなかったマルタがちょうど中間地点の要衝ってことでめちゃくちゃ注目され始める。ときには15000ものイスラム艦隊が急に訪れて、スペインが撃破したりする。手に負えない感満載で、 スペインも困る。

 

【マルタの歴史】地獄から天国へ、マルタ騎士団爆誕

そんなこんなで困っていたスペインが目をつけたのがそう、マルタ騎士団。

マルタ騎士団、爆誕

元々十字軍のヨハネ騎士団っていうグループにマルタ島とゴゾ島に与えられのが、マルタ騎士団の始まりなんですね〜

早速、マルタ騎士団はマルタに拠点を構えるんですが、当時大帝国を築いていたオスマン帝国がマルタを攻めるという噂がはいります。これはヤバイですね、、、。

マルタ騎士団、早速ピンチを迎えるわけです。

「せっかくもらった土地、受け渡すわけにはいかん」てな感じでマルタ騎士団はどんどん要塞を築いていきます。それが今の要塞都市を形成しているんですよ〜

そして時が経ち、情報通り、オスマン帝国はマルタに攻めてきたんですね。残念なことに噂は正しかったんです、、、(´・ω・`)

この時、マルタ騎士団600人に対しオスマン兵は40000、、、 圧倒的不利、、、オスマン帝国勝利確定、、、 と思いきや、マルタ騎士団とマルタを守りたい住民たちは命を賭けた抵抗が始まります。

砦が陥落しても、耐え抜くマルタ騎士団とマルタの住民たち、、、 その結果、マルタへのシチリアからの援軍が間に合い、オスマン帝国を打ち破ってしまったのです、、、 。

まさに奇跡、、、!

そしてその後、さらなる攻撃に備えなくてはいけない、、、 と奮起したマルタ騎士団たちは、新しい城塞都市や建築物を作り始めます。マルタの城塞都市、首都『バレッタ(ヴァレッタ)』もその1つです。 バレッタ(ヴァレッタ)を代表する教会、聖ヨハネ大聖堂なんかもこの時期に建てられたものです。

 

【マルタの歴史】世界の革命児、マルタ来島

こんなにマルタの発展に寄与したマルタ騎士団を退け、「マルタは自分のものだ!」と声高に主張し、 マルタ騎士団をマルタから追いやった人物が登場します。

そう、「ナポレオン」です。

ナポレオン(フランス)の統治の間、マルタでは様々な改革が行われていきます。新しい仕組みの中で、長く続くと思われましたがある国の登場でわずか2年で終焉を迎えます。

そう、イギリス

イギリスとしてもユーラシア大陸に出る足場となるマルタは非常に良い立地だったんですね。マルタも色んな国から自分たちが狙われていることを知っていたんで、 自分たちの国をイギリスから守ってもらおうと思ったわけです。そうしてマルタ自身が半分望んだイギリスによるマルタ統治が始まりました。

このイギリスの統治によってもたらされたものがそう、『英語』だったんですね

 

【マルタの歴史】ついに独立!マルタの再スタート

20世紀に入りすぐ、第一次世界大戦が始まります。

当時はイギリスとともにマルタは連合国軍として参加しました。日本も連合国軍として参加しており、イギリスと同盟関係にあった日本はマルタに海軍を送ったなんて歴史もあります。その証拠にこの戦争の日本の負傷者を追悼する慰霊がマルタのカルカーラという場所に残っているんです。

第二次世界大戦が勃発してからも、マルタは地中海の主要地として奪い合いが勃発してしまいます。イギリスvsマルタを侵略したいドイツとイタリアの争いは激しさを増し、空襲の被害を受けたこともありました。

第二次世界大戦が終結すると、時代の変化とともにマルタに光が差しました。

これまでの移動手段が船から航空機に変わったのです。それを受け、イギリスのマルタに対する価値は下がり、1964年マルタは独立を果たしました

今までイギリスに護られてきたマルタは自分たちの道を歩いていくことになり、自国の産業を発展させていく必要が出てきました。そのなかで最も成功したのが観光業でした。 マルタは現在ヨーロッパでも人気の観光地となっており、 イギリスの遺物を逆手に取り、英語留学の人気滞在地となっています。

 

【マルタの歴史】サルでも理解できるマルタの歴史まとめ

簡単にまとめるとこんな感じ。

イタリアから移り住んできた人間が、結構スゴイ石の文明を築いたが、島国&小国というポテンシャルと地中海の中心という立地条件からいろんな国に目をつけられる。現存する国だけでも、フランス、スペイン、オスマントルコ(トルコ)、イギリスなんかには統治された。そのなかでも例外なのはマルタ騎士団がいた頃のマルタ。あの頃のマルタはひときわ輝いていた。その後時代が経ち、独立前に統治されていたイギリスの文化、特に英語は今のマルタにも根付いている。そのおかげで世界有数のリゾート地にもなっている。

 

マルタの歴史=バレッタの歴史ではない

マルタの歴史=バレッタの歴史と考えるかもしれませんが、実はそうではありません。

バレッタはマルタ騎士団がオスマントルコを駆逐した少し後に出来た都市です。

今から約440年程前の話しです。

マルタを護るために造られた軍事的拠点となる都市、いわゆる城塞都市ですね。

ちなみにバレッタという名前は、オスマントルコとの戦いのときマルタ騎士団長であった ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットという人の名前にちなんで名付けられました。

それ以後、マルタの重要な都市として政治、経済の拠点となっていました。 今では世界遺産として、多くの観光客が訪れる観光都市でもありますよね。

 

マルタの今を作ったイギリスの統治時代

マルタの歴史を語る上で重要なのはやっぱイギリス。

イギリスに統治されるというのが、マルタの人々にとってどういう意味を持ち合わせていたのかわかりませんが、英語を持ち込んだことは今のマルタにとって大きな影響を与えています。

マルタが英語圏じゃなかったら、 英語が使えない観光地で、英語留学も存在しませんでした。

あくまでもイギリスの統治を肯定する意味ではありませんが、イギリスの統治時代、マルタに持ち込まれたものは今のマルタを支えていると言っても過言ではないと思います。

僕もマルタがマルタ語しか使わない国だったらせいぜい旅行が精一杯、 こんなにマルタのことを好きにはなれなかったかもしれません、、、。

こんな感じでマルタの歴史をまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか??僕もマルタの歴史を何度もネットで見て、理解できなかったので、 過去の自分に教えるように「さるでもわかる」くらい簡潔にまとめてみました。

(一応、7000年くらい歴史があるので、長文になったことはお許し下さい(´・ω・`))

みなさんのマルタ豆知識が1つでも増えたら嬉しいです☆彡

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